毎朝2時に起きる男の雑記

仕事の関係で毎朝2時起き、就寝は夕方6時くらい。趣味は読書、海外ひとり旅、駅伝観戦。

神野大地。努力の天才ランナーは、今後必ず覚醒する。

神野大地選手といえば、青山学院大学時代に「山の神」として名を馳せましたね。

 

現在はプロランナーとして、マラソンに取り組んでいます。

 

そんな神野大地選手についてまとめていきます。

 

 

高校時代

愛知県の中京大中京高校に在籍していました。同県に豊川、豊川工業といった駅伝の強豪校があったため、全国高校駅伝への出場はありません。しかし、個人でインターハイ出場、5000mの自己ベストは14分13秒。高校3年時の都道府県対抗駅伝では、高校生最長の5区で区間4位と好走しました。ちなみにこの大会でトップを争った久保田和真とは後にチームメイトとしてともに箱根を走ることになります。

よくテレビで、神野選手の紹介時に「高校時代は無名の選手だった」と言われていました。しかし駅伝ファンからすると、上記の実績からも高校時代から知っている人がほとんどだったように思います。「神野大地」という名前がカッコよすぎて覚えやすかったのも覚えています。笑

 

 

大学時代

青山学院大学に進学してから、神野選手の成長はグングンスピードアップします。

 

入学直後のアジアジュニア陸上選手権の10000mで銀メダルを獲得。1年時は3大駅伝の出場もありませんでしたが、2年時からはチームの主力として活躍します。

 

出雲駅伝では最長区間のアンカー6区を任され区間4位。同区間を走っていた大迫傑、設楽啓太、窪田忍といった2学年上の強烈メンバーにも引けを取らない走りを見せました。その後全日本大学駅伝の2区で6位、箱根駅伝の2区でも区間6位。いずれもエース区間で、安定した結果を残しています。

この頃、神野選手について原晋監督は「チームの模範生。生活の全てを陸上に捧げている」と、陸上に対する取り組みや姿勢を高く評価していたのを覚えています。

 

大学3年時はさらに成長。関東インカレ2部ハーフマラソンで優勝。全日本大学駅伝では8区で3位。そして箱根駅伝。山道での練習において、青学の原晋監督が山登りへの適性を見出し5区に抜擢されます。そして、2位で襷を受け取ったにもかかわらず、終わってみれば2位に約5分差をつけて往路のゴールテープを切りました。あの柏原竜二さんを超える驚異的な区間新記録を叩き出したのです。神野選手の大活躍もあり、青山学院大学はこの年、箱根駅伝で初優勝を果たしました。この大会で、神野選手が「山の神」と呼ばれるようになりました。

また、箱根の1ヶ月後に行われた香川丸亀国際ハーフマラソンでは、日本人学生歴代3位となる1時間1分21をマーク。山のみならず、平地でも学生トップクラスの力を見せつけました。

 

大学4年時は度重なる怪我に苦しみ、出雲駅伝欠場。全日本大学駅伝8区8位と不本意の結果に終わりますが、箱根駅伝では5区で区間2位の走りを見せ、チームの連覇に貢献しました。

 

社会人

大学卒業後、コニカミノルタに入社します。直後に「オールスター感謝祭」の赤坂5丁目ミニマラソンにゲスト出場するなど、その知名度をグングンあげている神野選手。

1年目の7月には10000mで28分17秒の自己記録をマークするなど、順調に記録を伸ばしていきます。

 

2年目の12月、福岡国際マラソンでマラソンデビューを果たします。

しかし、神野選手はここからマラソンで苦しむことになります。

初マラソンでは2時間12分台の総合13位。その翌年の東京マラソンでは、目標のサブテンに届かず2時間10分台。

 

その後コニカミノルタを退社、プロランナーになり、ベルリンマラソン福岡国際マラソンと挑戦しますが、いずれも中盤の失速が目立ち、不本意な結果に終わりました(ベルリンマラソンは途中棄権)

 

2019年の東京マラソンでは、2時間11分台の日本人4着という結果を残し、MGC出場権を獲得しました。

 

MGC本番では、30人中17位。決して満足のいく結果ではなかったと思います。

 

 

この結果にネットでは、

 

「神野は終わった」「マラソンに適性がないんだよ、諦めろ」という心無い声が上がっています。私は決してそんなことはないと思います。神野選手は努力の天才。猛烈な努力を継続できるって、一種の才能ですよね。そんな努力型の選手が結果を出すのには時間がかかるものです。

神野選手が本格的にマラソンを始めて、まだ2年。

このまま大きな怪我さえなければ、いずれ爆発的に成長する時期が来るだろうと予想しています。

長い目で見て待ちたいですね。