毎朝2時に起きる男の雑記

仕事の関係で毎朝2時起き、就寝は夕方6時くらい。趣味は読書、海外ひとり旅、駅伝観戦。

モノレートの見方 せどりでがっつり稼ぐ!

検索窓に、商品名を入力してもヒットしないことが多い。

ほとんどASIN番号でしか読み込みができないと思っておく。

なので、アマゾンのページからASIN番号を引っ張ってきて、メモしておく。(アマゾンの商品ページの商品情報欄に書いてある)

 

〇最安値の横に表示されるのは、入金額(最安値から手数料を引いた額)。

 

〇画面左側の「全てのコンディション」欄で新品を選択して、新品最安値、カート価格、プライム、アマゾン本体には必ずチェックボックスを入れるようにする。

 

〇ランキングが一番重要。

ギザギザが多いほど良い。

何回ギザギザがあればよいかは、ジャンル等によって変わってくる。

客観的に考える。

下に行くと、期間ごとの最安値一覧が。

実際にいつ、何個くらい売れているかはここを見ると良い。

ランキングの数字が太字になっている箇所があったら、そこは恐らく売れている。

なぜ恐らく、かというと、返品した可能性もあるから。

 

〇NG1

「アマゾン販売」の欄が、「新品」「中古」等とともにあるとき。アマゾン本体が出品しているということ。本体の値段と同じである場合は、売れる確率1パーセントもない。

この場合、値段を下げれば売れる。しかしアマゾン本体と値下げ競争になる可能性は大いに高い。いたちごっこになる。利幅があればよいが、ない場合は絶対に仕入れない。

 

〇NG2

「新品」欄を押して、出品者の数を見たときに、全員同じ値段で出品者が10人とか多い場合。10人でカートを取り合って売っていく場合、ランキングの波形が良くても、自分にとって売れる確率は10分の1になる。

 

〇NG3

モノレートユーザーが直近で急激に増えているとき。その場合は出品者がこれから急激に増える可能性がある。

 

〇NG4

利幅がかなり大きいが、ランキングの波形がいまいちの時(3か月で8個くらい)。この場合は、最安値よりもかなり安い価格に設定すれば、売れ行きが確実に良くなる。

12ヶ月スパンで見て、最安値がもっと低かった時の売れ行きを見て、波形がかなりギザギザしているようであれば、値段を下げれば確実に売れると思ってよい。

 

NG5

季節ものは、必ず12ヶ月の波形でみる。そして時期が来る少し前に仕入れていれば美味しい商品になる。

田村和希 〜青学駅伝男はトラックで世界を目指す〜

田村和希(たむらかずき)選手といえば、青山学院大学時代にエースとして箱根駅伝4連覇に大きく貢献しました。3大駅伝で獲得した区間賞は通算でなんと6回!出場したのが9回なので、何と3分の2が区間という抜群の成績を残しています。そのため田村選手はよく「駅伝男」と呼ばれていました。

しかし、駅伝以外にも様々な場面で活躍しています。その経歴を紹介します。

 

高校時代

山口県西京高校に在学していました。インターハイや国体への出場経験はありません(田村選手が暑さに弱いのも理由の1つだと思います)。全国高校駅伝には3年連続で出場し、1年時は7区24位でしたが、2年時に3区8位、3年時に3区4位と好走をみせます。トラックの5000m自己ベストは14分21秒ですが、それ以上の力をロードで見せつけていました。

 

大学時代

1年生の前半シーズンはあまり目立った成績は残していませんが、秋以降に5000mで14分03秒の自己ベストを記録。出雲、全日本は出走していませんが、箱根駅伝で大活躍。4区を任され、54分28秒の区間新記録。おそらく、この箱根で田村選手のことを知った、という人が多いでしょう。私もその一人です。この年、青山学院は箱根で初優勝し、一気にその知名度を上げました。

2年生でも前半シーズンはやはり微妙。。。暑さに弱いのでしょうね。しかし駅伝では、出雲こそエントリー漏れしましたが、全日本では3区で区間2位。箱根では前年に続き、4区で区間賞。また、箱根前には、記録会で10000m28分46秒をマーク。確実な成長をみせた年でした。

3年生はついにその殻を破り、エースへと成長します。4月に5000mで13分50秒をマークすると、関東インカレの5000mで4位。そして秋には5000mの記録を13分43秒にまで伸ばし、10000mでは28分18秒青山学院大学記録を更新しました(今も破られていません)。駅伝でも出雲2区区間全日本2区区間。とんでもない活躍ですね。全日本の2区では、時折笑顔を見せながら走っているのがとても印象的でした。走ることをとても楽しんでいるようで、見ている側も明るくなりましたね。箱根前は不調という情報があり、本番では脱水症状を起こし7区で区間11位と沈みましたが、総合的には田村選手が大きく飛躍した1年でした。

最終学年、前半シーズンは不調が続き、夏頃には怪我もあって満足に練習を積めない日々が続きます。しかし!!!駅伝シーズンは大活躍でした。出雲2区では区間新記録の走りで、8位で受け取った襷を3位にまで浮上させました。全日本でも2区区間で、10位で襷を受け取りますが4人抜いて6位にまで順位を押し上げます。そして箱根では3区を任され、区間2位東洋大山本修二選手に24秒離されてしまいましたが、優勝に大きく貢献するレースでした。

青山学院が箱根駅伝4連覇の偉業を成し遂げましたが、田村選手は唯一、その4回とも出場しました。箱根を負けなしで卒業するとは何とも贅沢ですが、凄いことですね。

 

 

 

社会人

駅伝の活躍が目立っていた田村選手ですが、卒業後はトラックでの活躍が目立ちます。

住友電工に入社してから3ヶ月後のホクレンディスタンスでは、10000mで27分58秒をマーク。初めて27分台に突入しました。

社会人2年目となった今年は、日本選手権10000mで優勝。ドーハ世界陸上に10000m代表としての出場を目指し、標準記録(27分42秒)の突破を目指してホクレンに出場しましたが、27分57秒と届かず。しかし、まだ23歳の若い選手。東京オリンピックでは必ずや代表権を獲得し、日の丸を背負っていることを信じて応援し続けます!

一色恭志 ~青学の大学駅伝3冠・箱根4連覇の大きな原動力~

青山学院大学ではエースとして駅伝で大活躍した選手。現在はGMOアスリーツに所属し、マラソンで世界を目指すランナーです。そんな一色選手について見ていきます。

 

 

 

高校時代

宮城の仙台育英高校では、一年時から全国高校駅伝を走り、2区で区間2位。この頃から世代のトップ選手でした。

翌年、2年生ながらインターハイ5000mで決勝進出。全国高校駅伝では7区区間賞。5000mの自己ベストも14分15秒まで伸ばします。

 高校3年生に上がる時、東日本大震災が起きます。その影響で、仙台育英の主力メンバーは愛知県の豊川高校に転校することに。陸連の規定で、転校から6ヶ月以内に公式の大会に出場できない、となっているため、最後のインターハイには出られず。

 しかし、この年に5000mの自己ベストを14分00秒まで伸ばしました。全国高校駅伝では4区で堂々の区間賞。

高校時代から、上下のブレがない安定したフォームが印象的でした。日本を代表するランナー・佐藤悠基さんにそっくりだなー、と感じました。

 

 

 

大学時代

 青山学院に入学すると、一年時から大活躍。

 3大駅伝は全て出場し、出雲3区7位全日本1区6位箱根1区6位。どれも主要区間を任され、しっかりと区間上位でまとめました。ちなみに箱根では、1区の1年生歴代最速タイムをマークしています(1時間2分15秒)。

大学2年時には既にチームのエース格へと成長します。関東インカレのハーフマラソン2位、10000mで28分23秒の自己ベスト。箱根ではエースの集う2区で、区間3位。この年、青山学院は箱根駅伝を初めて制しました。また、その2ヶ月後に行われた日本学生ハーフマラソンでは優勝を果たします。

 大学3年生になると、1学年上の神野大地、久保田和真、小椋祐介とともに青学四天王と呼ばれました。7月にはユニバーシアードに出場し、銀メダルを獲得。そして圧巻だったのが駅伝。出雲駅伝では最長6区で区間2位(日本人1位)。優勝のゴールテープを切りました。全日本では1区でトップと1秒差の2位。そして箱根では、前年同様に2区で区間3位。箱根連覇へ大きく貢献しました。

大学4年時は、学生長距離界のエースになります。関東インカレ5000m優勝10000m2位。これだけでも留学生みたいな成績ですねww そこから1か月後の日本選手権5000mで4位13分39秒の自己ベスト。出雲駅伝6区2位(日本人1位)、全日本大学駅伝8区2位(日本人1位)、箱根駅伝2区3位

青山学院大学の箱根3連覇&大学駅伝3冠に大きく貢献しました。

 

 

 

こうやって振り返ってみても、高校生1年から大学4年まで、素晴らしい成長曲線を描いています。他のトップランナーは、 うまくいかない年をどこかで挟んでいますが、一色選手は毎年安定してステップアップしていますね。

大きな怪我もなく7年間過ごせていることが、1つの強みではないでしょうか。

 

現在はマラソンに挑戦している一色選手。学生時代から合わせて既に7本も走っており、自己ベストは2時間9分43秒とサブテンも達成、MGC(マラソングランドチャンピョンシップ)の出場権も獲得しました。しかし、怪我の影響でMGCを欠場。東京オリンピックは少し厳しいかもしれません。

ですが、大舞台での経験が豊富な一色選手。高校・大学時代に「強豪校のエース」という重圧をはねのけて、結果を出してきた選手ですので、そう簡単に折れるとは思いません。将来、日の丸を背負って戦う姿が見たいと願う今日この頃でした!

熊本が誇る天才ランナー・久保田和真。現在は?

久保田和真選手といえば、青山学院大学箱根駅伝初優勝メンバーであり、イケメンランナーとしても注目を集めましたね。しかしその後、週刊誌にスキャンダルが出たことも重なり、あまり表舞台に姿を現しません。

熊本出身のスター的な存在で非常に綺麗なフォームで走る姿から、私は大好きな選手です。

 

 

久保田和真選手の経歴を見ていきます。

 

 

中学時代

熊本県の菊陽中学校に在籍していました。3000mの自己記録は8分57秒。熊本県内では名の知れたトップランナーでしたが、全国的にはまだまだ無名の選手でした。

 

高校時代

熊本の強豪校・九州学院高校に入学します。

入学してわずか2ヶ月後の5月末に、5000mで14分台を記録しました。

(というかこの前まで3000mギリギリ8分台の人が5000m14分台っておかしいですよね?笑 というのも中学時代の3000m自己ベストは真夏の大会で出したタイムなので、本当はそれ以上の実力が元々あったのだと思います。)

 その後、高校1年時の国体少年B3000mで3位入賞(8分23秒)。全国高校駅伝では7区区間賞。一気に全国クラスの選手として知名度を上げました。5000mの記録は14分40秒まで伸ばします。

 

高校2年時はインターハイ5000mに出場するも予選落ち。しかし、5000mで当時の熊本県高校記録を樹立(14分04秒)、全国高校駅伝ではエース区間の1区で4位と、2年生にして全国トップクラスの実績を残します。

 

高校3年時はさらに凄かったですね。前年惨敗だったインターハイ5000mでは6位入賞(日本人3位)を果たすと、国体少年A5000mで2位。さらに、熊本県の日本人高校生として始めて13分台をマーク。自身の県高校記録を更新しました(13分59秒)。圧巻だったのが駅伝。全国高校駅伝では、エース区間の1区で中盤から1人飛び出し、2位に20秒以上の差をつける区間賞。これまで何年も高校駅伝を見てきましたが、1区で1人ぶっちぎりの区間賞はこの1回しか見たことがありません。

そして、都道府県対抗駅伝では、5区で12人抜きのぶっちぎり区間賞。8.5キロで区間2位とのタイム差30秒もつける圧巻の走りでした。熊本出身の私としてはこの時の走りが最も強烈で、興奮したのを覚えています。

 

 

大学時代

抜群の実績を引っさげて、青山学院大学に入学。久保田選手をはじめ、小椋裕介選手や神野大地選手といった、実力ある選手が青学に多数入学したことで話題になりました。

1年時はトラックシーズンに怪我で出遅れますが、9月の日本インカレ5000mで、1年生ながら日本人トップの4位。その後、出雲駅伝3区区間賞(チームの初優勝に大きく貢献)、箱根駅伝3区4位と上々のデビューを果たします。

大学2年時、トラックで関東インカレの1500m・5000mの2種目で入賞。しかし、その後故障により大学3大駅伝全てを欠場しました。長引く怪我に一時は陸上をやめようかと思ったこともあったみたいですが、大学2年時の箱根駅伝後、右足の手術を決意。

大学3年時、6月のトラックレースで復帰すると、全日本大学駅伝で駅伝復帰を果たします(2区3位)。復帰戦にして他校のエース達と互角に渡り合う、そのポテンシャルの高さに驚きました。箱根駅伝では1区を任され、区間2位。当時、1区のスペシャリストとして驚異的な強さを誇っていた駒澤大学の中村匠吾選手に喰らい付き、わずか1秒しか離されない素晴らしい走りでした。その後、チームメイトの神野大地選手の活躍などもあり、チームは箱根駅伝初優勝を果たします。

大学4年時、前半シーズンは小さな怪我と教育実習もあり、関東インカレを欠場しましたが、4月に5000mで13分49秒の自己ベストをマークしています。このレース、とても楽しそうに走っているのが印象的でした。

そして圧巻の駅伝シーズンでした。

出雲駅伝では3区区間賞。1年時に続き、チーム優勝の立役者となりました。

全日本大学駅伝では4区区間賞。しかしチームは敗れ、本人もあまり納得はいってない様子。

雪辱を期したい箱根駅伝では、1区区間賞。そして青山学院は1区から1度も首位を渡さない完全優勝を果たしました。また、久保田選手はこの年、個人3冠(3回の駅伝全てで区間賞)も果たし、箱根駅伝のMVPにも輝きました。

原晋監督は、久保田選手のことを「天才ランナーだ」とテレビで言っていたのを今でも覚えています。

 

社会人

これだけの活躍を見せた久保田選手ですが、、社会人になった直後にスキャンダルが出たことで話題になりましたね。どこまで真実なのかはわかりませんが、2018年には無罪が確定したので復帰するか?と思いきや、レースでもパッとした結果が出せず。。

でもまだ26歳ですし、もう一度、あの鮮やかなフォームで走っている姿をテレビで見たい。。

熊本の陸上ファンとしては、また都道府県対抗駅伝でブッチぎって走っている姿を見たいなー、と思いながら、復帰するのを静かに待っていようと思います。

 

いずれにせよ、久保田和真選手は私が陸上にのめり込むきっかけとなった選手の1人ですので、これからも応援し続けます!

神野大地。努力の天才ランナーは、今後必ず覚醒する。

神野大地選手といえば、青山学院大学時代に「山の神」として名を馳せましたね。

 

現在はプロランナーとして、マラソンに取り組んでいます。

 

そんな神野大地選手についてまとめていきます。

 

 

高校時代

愛知県の中京大中京高校に在籍していました。同県に豊川、豊川工業といった駅伝の強豪校があったため、全国高校駅伝への出場はありません。しかし、個人でインターハイ出場、5000mの自己ベストは14分13秒。高校3年時の都道府県対抗駅伝では、高校生最長の5区で区間4位と好走しました。ちなみにこの大会でトップを争った久保田和真とは後にチームメイトとしてともに箱根を走ることになります。

よくテレビで、神野選手の紹介時に「高校時代は無名の選手だった」と言われていました。しかし駅伝ファンからすると、上記の実績からも高校時代から知っている人がほとんどだったように思います。「神野大地」という名前がカッコよすぎて覚えやすかったのも覚えています。笑

 

 

大学時代

青山学院大学に進学してから、神野選手の成長はグングンスピードアップします。

 

入学直後のアジアジュニア陸上選手権の10000mで銀メダルを獲得。1年時は3大駅伝の出場もありませんでしたが、2年時からはチームの主力として活躍します。

 

出雲駅伝では最長区間のアンカー6区を任され区間4位。同区間を走っていた大迫傑、設楽啓太、窪田忍といった2学年上の強烈メンバーにも引けを取らない走りを見せました。その後全日本大学駅伝の2区で6位、箱根駅伝の2区でも区間6位。いずれもエース区間で、安定した結果を残しています。

この頃、神野選手について原晋監督は「チームの模範生。生活の全てを陸上に捧げている」と、陸上に対する取り組みや姿勢を高く評価していたのを覚えています。

 

大学3年時はさらに成長。関東インカレ2部ハーフマラソンで優勝。全日本大学駅伝では8区で3位。そして箱根駅伝。山道での練習において、青学の原晋監督が山登りへの適性を見出し5区に抜擢されます。そして、2位で襷を受け取ったにもかかわらず、終わってみれば2位に約5分差をつけて往路のゴールテープを切りました。あの柏原竜二さんを超える驚異的な区間新記録を叩き出したのです。神野選手の大活躍もあり、青山学院大学はこの年、箱根駅伝で初優勝を果たしました。この大会で、神野選手が「山の神」と呼ばれるようになりました。

また、箱根の1ヶ月後に行われた香川丸亀国際ハーフマラソンでは、日本人学生歴代3位となる1時間1分21をマーク。山のみならず、平地でも学生トップクラスの力を見せつけました。

 

大学4年時は度重なる怪我に苦しみ、出雲駅伝欠場。全日本大学駅伝8区8位と不本意の結果に終わりますが、箱根駅伝では5区で区間2位の走りを見せ、チームの連覇に貢献しました。

 

社会人

大学卒業後、コニカミノルタに入社します。直後に「オールスター感謝祭」の赤坂5丁目ミニマラソンにゲスト出場するなど、その知名度をグングンあげている神野選手。

1年目の7月には10000mで28分17秒の自己記録をマークするなど、順調に記録を伸ばしていきます。

 

2年目の12月、福岡国際マラソンでマラソンデビューを果たします。

しかし、神野選手はここからマラソンで苦しむことになります。

初マラソンでは2時間12分台の総合13位。その翌年の東京マラソンでは、目標のサブテンに届かず2時間10分台。

 

その後コニカミノルタを退社、プロランナーになり、ベルリンマラソン福岡国際マラソンと挑戦しますが、いずれも中盤の失速が目立ち、不本意な結果に終わりました(ベルリンマラソンは途中棄権)

 

2019年の東京マラソンでは、2時間11分台の日本人4着という結果を残し、MGC出場権を獲得しました。

 

MGC本番では、30人中17位。決して満足のいく結果ではなかったと思います。

 

 

この結果にネットでは、

 

「神野は終わった」「マラソンに適性がないんだよ、諦めろ」という心無い声が上がっています。私は決してそんなことはないと思います。神野選手は努力の天才。猛烈な努力を継続できるって、一種の才能ですよね。そんな努力型の選手が結果を出すのには時間がかかるものです。

神野選手が本格的にマラソンを始めて、まだ2年。

このまま大きな怪我さえなければ、いずれ爆発的に成長する時期が来るだろうと予想しています。

長い目で見て待ちたいですね。

井上大仁 〜マラソン・アジア王者は東京オリンピック出場なるか〜

井上大仁(いのうえひろと)選手をご存知でしょうか?

 

昨年(2018年)のジャカルタ・陸上アジア大会でマラソンに出場し、日本人32年ぶりの優勝を飾りました。

自己ベストは現役選手で3番目に速い2時間6分54秒。これらの実績から、大迫傑設楽悠太、服部勇馬とともに、日本マラソン界「Big4」の一人として名を連ねました。

 

 

そんな井上大仁選手について紹介します。

 

 

井上選手は長崎県諫早市出身の選手です。鎮西学院高校に通っていました。

高校時代の5000m自己ベストは14分29秒。インターハイ全国高校駅伝の出場経験はありません。

高校時代の自己ベストを、他のBig4の選手と比較してみても

 

大迫傑:13分58秒

設楽悠太:14分07秒

服部勇馬:13分56秒

 

と、全国トップクラスの実力を持っていたのに対して、井上選手は決して全国区の選手ではありませんでした。

 

 

大きく力を伸ばしたのが大学時代。

山梨学院大学時代は4年連続で箱根駅伝に出場し、1年時は1区10位、2年時にはチームの日本人エースに成長し、出雲1区5位、全日本1区2位、箱根3区7位。3年時には全日本大学駅伝2区で区間賞を獲得します。また、2014年の3月には、大学3年生ながら世界ハーフマラソン選手権の日本代表として出場もしています。

4年時にはチームの主将に就任し、関東インカレ10000m2位、ハーフマラソン優勝。一気にトップクラスの選手に駆け上がりました。箱根駅伝の予選も個人5位。箱根本戦では3区を任され、アクシデントにより最下位で襷を受け取りますが、区間3位の走りでチームにいい流れを引き寄せました。最下位スタートから井上選手の快走をきっかけに少しずつ順位を上げ、チームは総合9位とシード権を獲得しました。

大学4年間で、5000mの自己ベストを一気に50秒近くも伸ばし、13分42秒。10000mでも28分19秒を記録し、いずれも山梨学院大学の日本人記録を更新しました。

 

大学卒業後は三菱日立パワーシステムズMHPS)に在籍。

初マラソンとなる2016年3月のびわ湖毎日マラソンでは、2時間12分台の総合9位(日本人7位)。30km過ぎまで日本人首位争いを演じていましたが、その後脱落。しかし、初マラソンとしては素晴らしい結果を残しています。

2度目のマラソンとなる2017年の東京マラソンでは、外国人選手がハイペースで進めていく中で自分のペースを守り、2時間8分台で自己ベストを約4分も更新。日本人トップの総合8位という結果から、世界陸上ロンドン大会にマラソン日本代表として初選出されました。

世界陸上では序盤から海外勢に喰らい付くも、中間点付近で遅れ始め、26位に終わります。初の世界大会はほろ苦いデビューとなりますが、翌年に目覚ましい活躍を見せます。

 

2018年の東京マラソンでは、当時の日本歴代4位となる2時間6分54秒をマークします。同大会で設楽悠太選手が日本記録を樹立したことで井上選手は悔しさの方が大きかったとのことですが、井上選手も凄まじい記録です。

そして同年のジャカルタアジア大会では、日本人32年ぶりの金メダルを獲得。高温多湿の悪条件の中での結果は、夏のオリンピックでも活躍の可能性を感じさせてくれましたね。

 

 

待ちに待ったMGCでは、残念ながら東京オリンピック内定とはなりませんでした。

Big4として周囲から過度な期待をかけられ、相当なプレッシャーがあったと思います。一発勝負は本当に何が起こるかわからないですね。しかし、今後の福岡国際マラソン東京マラソンびわ湖毎日マラソン日本記録相当となる2時間5分49秒以内を出すことができれば、オリンピック代表内定となります。井上選手はこのタイムを出せるだけのポテンシャルは持ち合わせていると思います。今後、井上選手がどの大会に出て、どんな結果を残していくか楽しみですね。

東京オリンピックの星・服部勇馬

服部勇馬選手をご存知でしょうか?

 

 

昨年の福岡国際マラソンで日本人14年ぶりの優勝。見事なネガティブスプリットで黒人選手を抑えての優勝を果たし、大迫傑選手 設楽悠太選手らとともにラソン界『Big4』の1人に名を連ねました。

 

そんな周囲の期待とプレッシャーの中、先日のMGC ・マラソングランドチャンピオンシップでは、2位に入り東京オリンピックの代表権を獲得しましたね。国際大会優勝の経験を武器に、本番でも十分闘える選手です。

 

 

そんな服部選手についてまとめていきます。

 

 

 

 

 

 

服部勇馬選手は、1つ下の弟・弾馬選手とともに、高校時代から世代のトップ選手として活躍しました。

 

仙台育英高校の2年時に全国高校駅伝1区3位、3年時のインターハイ5000m5位(日本人2位)。5000mの自己ベストは13分56秒。さらに10000mでも高校生のうちに28分台をマークするなど、実力は図抜けていました。

 

その後、東洋大学に進学し、1年時から主力として活躍します。3大駅伝は全て出場し、どれも主要区間に抜擢。そして結果を残しています(出雲駅伝3区2位、全日本大学駅伝8区6位、箱根駅伝9区3位)。

大学2年時には出雲駅伝の5区で区間新記録をマーク。さらに、この年に30kmの学生新記録を樹立(1時間28分52秒)しました。この記録を打ち立てたときから、長い距離への適性と、将来のマラソンでの活躍を期待したファンは多いはず。私も期待せずにはいられませんでした。

大学3年・4年時には、箱根駅伝のエース区間・2区で区間賞を獲得しています。

服部選手はトラックでも実績のある選手で、大学4年時には5000m13分36秒の東洋大記録を樹立しています(その後、弟の弾馬選手が13分34秒で走り、記録を更新しました)。しかし、全く力みの無い、軽やかなフォームを美雨限り、完全にロードの長い距離の方が向いていると思います。本人も、テレビで「トラックで自分は世界と闘えないと思ったので、じゃあなんで陸上やってるのか?ってなったときに、自分にはマラソンしか無いと思った。」と語っていました。

 

初マラソンは大学4年時の東京マラソン。2時間11分台の日本人4番手でした。初マラソンでこの結果なら十分すごいと思いますが、終盤での失速が目立っていました。その後、2017年の東京マラソン、2018年のプラハラソンと走っていますが、同じく終盤での失速。

しかし、服部選手の「研究熱心」さがこの課題を克服します。

 

・給水では経口補水液と栄養ドリンクの2種類を摂る

・入浴時に体の芯まで温めるため、自前の入浴剤を常に持ち歩いている

・練習メニューでは40km走の回数をこれまでの倍に増やした

 

と語られています。

そして、自身マラソン4戦目となる2018年の福岡国際マラソンは、終盤失速するどころかペースをどんどん上げて、外国人選手を置き去りに。見事な優勝でした。私は服部選手と同い年で高校時代からずっと応援していたこともあり、この時のマラソンは感動して涙が止まりませんでした。

 

東京オリンピックも決まり、これからの活躍が本当に楽しみです。